【ベトナムビジネスに必須!】ベトナム基礎知識①ベトナムの歴史

 

ベトナムをターゲットとしたビジネスを検討する企業、自治体が増加しています。

ベトナムをビジネス対象にするのならば、ベトナムの歴史と政治を知っておくことは必須です。

現在のベトナムができるまでにどのような歴史があったのか?私たちの日本とは何が違うのか?

違いを知り、お互いの文化を理解するところからビジネスはスタートです。

今回は、ベトナムの歴史についてお伝えしていきます。

 

現在のベトナムについて

ベトナムの正式名称は「ベトナム社会主義共和国」英語表記は”Socialist Republic of Viet Nam”です。

現在のベトナムは南シナ海の西側に位置し、南北 1,650km、東西 600km、南北に長い国土を持っています。面積はおよそ33万平方キロメートル、日本の約0.88倍です。首都は北部にあるハノイ。

人口は2020年時点で9734万人となっています。

 

ベトナムの歴史

 

ベトナムの独立は1976年。比較的最近まで、さまざまな国から干渉を受けてきた歴史があります。

 

現在のようなベトナムになる以前、ベトナム北部は,紀元前より隣国である中国の支配下に置かれてきました。

938年にベトナム北部は支配されてきた中国から独立。以後、南部と北部で様々な王朝が成立します。

 

ベトナムがフランスの植民地に

1884年にはダナン、サイゴン、ハノイが侵略され、フランスの保護国となり、1887 年には、カンボジア、ラオスとともに「フランス領インドシナ」として、フランスの植民地とされました。

植民地時代には、フランスからの独立を求める民族運動も活発に行われ、1930年には民族運動の指導者ホー・チ・ミン氏によりベトナム共産党も結成されました。

 

第二次世界大戦でフランスはドイツに敗れ、ベトナムをはじめとするインドシナの植民地支配はフランスから日本へと移ります。第二次世界大戦中は、日本軍によるベトナム支配も行われていたのです。

1945年8月、第二次世界大戦で日本が敗戦。インドシナから日本軍が撤退します。

 

同年9月、ホー・チ・ミン氏が「ベトナム民主共和国」として独立宣言をします。

 

インドシナ戦争勃発

 

翌 1946 年、フランスが植民地復権を狙い、第一次インドシナ戦争が勃発。北緯17度以北が中国とソ連から支援を受けた「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)に、以南がフランスの植民地「ベトナム共和国」(南ベトナム)となり、この戦争によって南北は分裂したままとなります。

北ベトナムと南ベトナムの対立は続きましたが、1954年にジュネーブ停戦協定を以て、南ベトナムはフランスの支配から独立しました。

 

多大な犠牲を払う、ベトナム戦争の始まり

 

その後もベトナムには争いが絶えません。資本主義国筆頭であるアメリカの軍事介入が始まったのです。

アメリカは、敵対するソ連や中国の影響によるベトナムの社会主義国家化に反対をしていました。1965年にアメリカは、ソ連や中国を後ろ盾にした北ベトナムに対し、空爆を行います。そこからベトナム戦争が始まったのです。

 

今でも続くベトナム戦争の後遺症

ベトナム戦争では激しい空爆やゲリラ戦により、南北ベトナム共に多くの犠牲者が出ました。

ベトナム戦争で特に問題となったのが枯葉剤の使用です。アメリカ軍はベトナムに猛毒であるダイオキシンが含まれた枯葉剤を撒いたのです。枯葉剤の影響は甚大で、現在でも2世、3世への影響が指摘されています。現在でもベトナム全土で100万人以上の人々が枯葉剤による外形的障害、遺伝疾患やがんなどの後遺障害に苦しんでいると言われています。

 

長かったベトナム戦争の終結

世界的にも多くの犠牲者を出したものの、アメリカ軍は戦況を打開できず、1975年、北ベトナムから撤退します。

およそ15年間続いたベトナム戦争では、5万人を超える米兵と、南北合わせて320万人を超えるベトナム人の死者を出したと言われています。兵士だけでなく、女性や子供、老人の犠牲も多かったのです。長い戦争は、人々に大きな悲しみを与えました。

 

アメリカの撤退後、北ベトナムは南ベトナムとの戦争に勝ち、ここで長かった南北分断が終了。ベトナムの南北統一が成されました。

1976年7月にやっと現在のベトナム社会主義共和国となったのです。

 

このように、中国の支配、フランスの植民地支配、インドシナ戦争,南北分離,米国とのベトナム戦争…と長い苦難を経て,今のベトナムがあるのです。

 

ベトナムを語る上で重要な人物「ホー・チ・ミン」

ホー・チ・ミン氏はベトナム初代大統領にして、ベトナムの南北統一を果たした指導者。偉大な政治家であり「ベトナム建国の父」として、現在のベトナムの礎を築いた人物なのです。

ベトナムの紙幣もこのホー・チ・ミン氏が印刷されていますね。街中では至る所でホー・チ・ミン氏のポスターや銅像を目にするでしょう。現在でもベトナムで最も愛されている人物です。

 

ベトナム南部の主要都市であったサイゴンが、独立後にホーチミンへと改称したのも彼に由来しています。

 

ベトナム戦争後

アメリカとのベトナム戦争が終わったと言えど、ベトナムが平和になるのはまだ先です。

ベトナム人民軍は、カンボジアのポル・ポト政権による国境攻撃に対抗して、1978年末にカンボジアに侵攻します。以後10年、この土地で5万人もの戦死者を出すことになります。

 

その後、ベトナム政府はドイモイ政策を打ち出し、ベトナムは大きな転換期を迎えます。

ドイモイ政策については次回の記事で詳しく見ていきましょう。

 

いかがでしたでしょうか。

現在のベトナムの発展は、過去の戦争や苦難の道のりの上に成り立っています。

過去を知ることで、今のベトナム、そしてこれからのベトナムを知ることにも繋がります。

 

こちらの記事もご参照ください。

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